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2009年 07月 06日
約一時間のクルーズ後、いよいよ軍艦島が見えてきました。 ドルフィン桟橋に船はつきましたが、波は高く、船から桟橋に渡す橋を架けるのも可能なの?というほど。 乗組員さんたち相談?や船を桟橋につないでいるのであろう作業をする間 約20分前後、ずっと船の中で待ちます。 上陸できるのかできないのかまだ伝えられないまま。。。 まるで受験の合格発表を待つような心境。 長崎までそうそう来れないし、少しくらい無理をしても上陸させてもらいたいっっと 本当に祈るような気持ちです。 関東から3回目のトライでやっと上陸なんてブロガーさんもいたよね・・・とか どんどんマイナスの考えが。。 しばし待った後、なんと上陸できることに! あぁぁ、良かった~(涙)。 こんなに高低差があることに驚きました。島の地下の坑道とあわせるとかなりの高低差。 なんて高い場所にまで建築物があるんだろう。山の上の建物は幹部社宅だそうです(内風呂付)。 そんな廃墟の島に似つかわしくない上陸解禁の際作られた新しいトンネルを抜け、 まずは全員広場に集められ、班分け。 「上陸予定時間は約1時間ですが、海の状況によっては説明の途中でも急いで 船に戻ってもらうことになりますので。」と言われ、本当に上陸するのは 難しいんだなぁと改めて実感しました。 1~4階までが小学校、5と7階が中学校、6階は講堂・図書館・音楽室。 説明員の方のお話では中高一貫教育の走りだと。屋上庭園もあったそうです。 この中には炭鉱マン用の共同浴場があったそうです。いつも真っ黒だったとか。 30号アパート(大正5年建設)は日本最古の7階建て鉄筋コンクリート造の高層アパート。 鉱員アパートです。 内庭には吹き抜けの廊下と階段・地下には売店がありました。 左隣の31号アパート(昭和31年建設)も鉱員アパート。 地下には一般用の共同浴場(海水使用)があり、1階には郵便局や理髪店もあったそうです。 島中のアパートは渡り廊下でつながっていて、雨が降っても濡れずに移動できるようになっていたそうです。 またその渡り廊下を使って、駅伝大会もあったそうですが、廊下で追い抜くのは なかなか難しかったため最初に前の方からスタートした人のほうが順位が良かったそうです^^ 海水を使っていたそうです。 こんな感じで説明を受けながら第一~三見学広場を回ります。 島の端っこのものすごく限られたゾーンだけの見学しかできません。 それが少し残念。 でも、ここ2ヶ月ほどでもかなり崩れたそうで、島の景色は日々変化しているそうなので 中を見学するのはそうとう危険なんでしょうね。 中まで見学できた福山くんがかなり羨ましかったです。 運良く長く滞在できたグループだったみたいです。 最後まですべてゆっくり見学できました。 心残りのないようにいーっぱい写真も撮りました。 さっきまで軍艦島の中を歩いていたはずなのに、そしてまだ軍艦島の地を踏みしめているのに、 急にテレビの画面を通してみているような感じがしました。 高さを変えて何段も桟橋がありました。 乗船。来たときもですが、外海なので、かなり揺れます。船酔いされる方は酔い止めは必須です。 鳥居や拝殿もあったようですが、今は祠のみが残っていました。 ポツンと、でも凛と立って今でも島を守っているようでした。 どうか波があっても多くの方がこの場所を訪れられますように。 島の反対側の景色。 この景色の中の多くは鉱員社宅です。 ほとんどがコンクリートで造られて2009年の今でも形は残っていますが、 一部木造の社宅もありました。それはすべて崩壊して木が散らばっていました。 大人の施設も数軒あったそうです(こういうのってどこにでもある・・・去年行ったイタリアの 紀元前の都市ポンペイにもありました)。うぅむ、そうなのかぁ、知らなかった。 暮らしに必要なものは凝縮され、なんでもあった軍艦島にないものは、お墓。 隣の小さな島に埋葬したそうです。 驚いたことは、昭和30年代からプロパンガスが普及したようですが、それ以前はアパートでも かまどを使用していたということ。 近代的なアパートでかまどという図が想像しにくいのですが、30号アパートなんて大正5年築だから そんな時代だったんでしょうね。でも、逆に大正で高層アパート住まいというのも想像しにくいです。 そうとう進んでいる生活だったんですね。 今回一番心にぐっときた風景はこの海にうかぶコンクリート建築物の島風景です。 もちろん草花もところどころにはありますが、基本的にコンクリートが目立つ軍艦島。 海にアパートが浮かんでいるのです。突然。 多くの人たちがかつて、確かにここで日常生活を送っていたはずです。 毎日毎日を一生懸命に、命をかけて。 そして今はその残骸が残る無人の島。 すべてが滅びた後の地球の姿を見ているような錯覚にも陥ります。 何ともいえない不思議な光景でした。 住民だった方々はどんな気持ちでこの島を後にしたのでしょう。 ガイドの方がおっしゃっていた「私はこの建物(30号アパート)が一番好きです。」 「3年後、5年後にここにまた来てください。きっと今とは違う光景でしょう。」 という言葉が心に残っています。 長年ずっとずっと「いつか絶対に行ってみたい場所」だった軍艦島。 いざ行ってみると今まで感じたことのなかったような気持ちになっています。 ただ、その気持ちは今まで行ったことのある産業遺跡を見て感じたものとは まったく次元が違うためまだうまく自分の中でしょうかできていません。 きっとじわじわと来るのでしょうね。 今後も、良い状態で保存されることを願っています。 ありがとう、軍艦島。 きっとまたいつか。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ものすごく余談ですが、Docomoは圏内で3本立ってました。 軍艦島を世界遺産にする会公式サイト←面白いです。
by shocochin_n
| 2009-07-06 17:39
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